
5月下旬某日。舞台「アドルフに告ぐ」の稽古場見学。
筆者は原作漫画を何度も読み返している。この物語には「脇役」がいないと思う。時代に翻弄された3人のアドルフ(アドルフ・カウフマン=成河/アドルフ・カミル=松下洸平/アドルフ・ヒトラー=高橋洋)、そして語り部としてのジャーナリスト、峠草平(とうげ
そうへい=鶴見辰吾)。彼らを中心として全ての登場人物に人生があり、運命があり、正義があり、複雑に絡みあう。そんな長大な群像劇をどう舞台作品としてまとめるのか、ひょっとしたら原作を知っている人しか楽しめない、難解な舞台構成になるのでは…と危惧していた。が、木内宏昌による脚本と、演出・栗山民也の手にかかれば、なあに、心配いらない。あの名作「アドルフに告ぐ」が、忠実にシンプルに、そして強烈に仕上げられていた。

この日はヒトラー・ユーゲント(ナチス党の青少年組織)の一員として、ナチスに忠誠を誓ったカウフマンがヒトラー総統の命令にある種の狂気を感じつつもユダヤ人殲滅計画を遂行していくというシーンからスタート。俳優の演技から、“嘘”を徹底的に排除する演出・栗山民也。「怖いね、こんなことがあったんだ」では到底終わらない。叫びが、激高が、怒りが、恐怖喜びが胸を打ち続ける。本舞台に出演する実力派揃いの俳優陣が、説得力を作品に与えていく。

物語が進行していくにつれ、より温かく人間的になっていくカミル。より冷酷に機械的になっていくカウフマン。そして一貫して我こそ正義と疑わない独裁者、ヒトラー。成河、松下、高橋それぞれのアドルフが纏う“オーラ”の違いが明確になって行く終盤に向けて一気に引き込まれ、ぞくぞくさせられる。栗山は台詞の一言ずつ、丁寧に磨きをかけていく。それに応える俳優陣。時折笑みもこぼれる座組はとても良いチームワークに見える。開幕までもう少し。“オーラ”は、客席全体を包み込むレベルに達しよう。

6月3日、KAAT神奈川芸術劇場でいよいよ幕が上がる。人類史上、最も忌まわしい時代の断片が舞台上に蘇る。峠草平という一人のジャーナリストが目撃した激動の世界を、あなたは体験する。辛く、悲しい物語。しかし、誰かと感想を語り合いたくてたまらない。舞台「アドルフに告ぐ」は、きっとそんな作品になるだろう。
最後に一つだけ。この物語の最後の戦いにおいて、原作漫画にはない、アドルフ・カウフマンのある行動に気づいて欲しい。そこに、彼の“人間”としての生き様が凝縮されていると筆者は感じ、まだまだ稽古中だというのにうっかり涙が出た。その違いは一瞬だ。しかし、原作漫画を読んでいる人なら、きっと気づく。
さあ、原作漫画を読むのが先か、舞台を観るのが先か。それが問題だ!
(文=田辺充)